コラム: 平日の呼吸

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コラム

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週末の喧騒が嘘のように引き、月曜日の朝が来ると、街は大きく深呼吸をする。通勤や通学のラッシュが過ぎ去ったあとの住宅街には、独特の時間が流れているものだ。「平日の静けさ」とは、単に人がいないということではない。それは街が本来持っている、素顔のような表情である。

  1. 取り残された時間

午前十一時の散歩道。普段なら子供たちの声で満たされる公園も、今は鳩が数羽、地面をついばんでいるだけだ。ベンチに腰掛けて目を閉じると、遠くから走る電車の音が、いつもよりクリアに響いてくる気がする。忙しない日常の中では聞き逃してしまう、街の鼓動だ。多くの人が社会の歯車として動いているその裏側で、ぽっかりと空いたエアポケットのような空間。そこに身を置くと、自分だけが世界から少し浮遊したような、不思議な感覚に包まれる。

  1. 遠くのチャイムと猫のあくび

ふと、路地のブロック塀の上で、野良猫が豪快にあくびをしているのを見かけた。その無防備な姿は、この時間が誰にも侵されない聖域であることを物語っているようだ。すると、どこからか小学校のチャイムが微かに聞こえてきた。授業の終わりを告げる音だ。あの懐かしい音色は、静寂を破るのではなく、むしろ静けさを際立たせるための句読点のように感じられる。

平日の昼下がり、この静謐な時間に浸ることは、ささやかな贅沢と言えるかもしれない。常に何かを生産し、消費し続ける日々のサイクルから、ほんの少しだけ降りてみる。すると、見慣れた景色の中に、新しい色が宿っていることに気づくのだ。


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