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近年、若者の間で「レトロカーブーム」が再燃する中、昭和時代の自動車が持つ“独特の文化”に注目が集まっている。しかし、当時の自動車には、現代の運転技術や安全基準から見ると、あまりに奇妙で非効率的な、しかし当時は「当たり前」とされていた必須装備がいくつか存在したことが、最新の研究で明らかになった。
特に運転手の集中力と精神力、そして筋力を鍛えるために必須とされていた、次の5つの装備は、現代の車からは完全に姿を消している。
🚨 1. 「速度超過警告アラーム(通称:キンコン)キャンセルキー」の義務化
現在、時速100kmを超えると鳴る「キンコン」アラームは廃止されているが、昭和時代にはこのアラームが義務化された直後、運転手の「煩わしい」という苦情が殺到した。

これに対し政府は、「長距離運転の集中力維持」を名目に、「キンコン」の音を一時的に停止させる「キャンセルキー」を導入。だが、このキーは「時速120km」を超えた瞬間に「キィィィン…ゴンッ!」と耳をつんざくような激しい音に変化し、同時にダッシュボードに設置された「赤色回転灯」が点滅するという、逆効果のトラップ機能が付加されていた。警察庁の資料によると、キャンセルキーを使ったドライバーの約4割が「逆に気が散って運転に集中できなくなった」と回答している。
💨 2. 「手動式・窓ガラス曇り取りレバー」

現代の車ではデフロスター機能(エアコンによる曇り取り)が標準だが、当時の車には「エアコンは贅沢品」という風潮が強く、曇り止め機能は存在しなかった。代わりに、運転席のドアパネル下部に、助手席側のフロントガラスを拭くための「手動式・曇り取りレバー」が装備されていた。
これは運転手がレバーを最大100回往復させることで、窓の内側に繋がれたフェルト地のパッドが作動し、曇りを物理的に拭き取るという仕組みだ。高速道路での雨天時には、運転手がハンドルを片手で操作しながらレバーを必死に往復させる姿が日常的な光景であり、これが「昭和のスポーツドライビング」の基本動作の一つとされていた。
🔑 3. 「給油口の鍵穴」

現在では車内のレバー操作で開く給油口だが、昭和の車はほぼ全て給油口自体に鍵穴があり、ドアの鍵とは別に専用の鍵で開ける必要があった。
その理由は、当時横行した「ガソリン盗難」対策という表向きの理由以外に、「給油のたびに車外に出て、背筋を伸ばし、鍵穴に集中して鍵を差し込む動作をすることで、運転による緊張を一度リセットする『リフレッシュタイム』を提供する」という、自動車メーカーの哲学があったとされている。しかし実際には、この給油口の鍵が非常に小さく、冬の寒い日に手袋をしたまま鍵穴に入れようとして指が凍傷になったり、鍵を落として二度と見つからなくなるといったトラブルが多発した。
🔧 4. 「トランク内の専用ジャッキ(通称:力試しジャッキ)」

現代の車では軽量化され扱いやすいパンタグラフジャッキが主流だが、当時の車に搭載されていたのは、巨大な油圧式の柱型ジャッキだった。これは、タイヤ交換の際に車体を持ち上げるだけでなく、「運転手の筋力維持」を目的としていた。
このジャッキは非常に重く、操作にも大人二人がかりが必要なほどだったため、当時の自動車教習所では「ジャッキアップ検定」という項目があり、運転手が一人でジャッキを持ち上げ、車体を規定の高さまで持ち上げる筋力と技術を証明する必要があった。このジャッキのおかげで、当時のドライバーは「腕周り20cm超え」が当たり前だったという都市伝説も存在する。
📻 5. 「カーステレオの『頭出し』機能」

昭和時代のカーステレオはカセットテープが主流だったが、特定の曲を聴くためには、高速でテープを巻き戻したり早送りしたりする「頭出し」操作が必要だった。当時の自動車メーカーは、この操作をより困難にするため、「ボタンを2.5秒間押し続けないと頭出しが始まらない」という仕様を意図的に採用した。
これは、運転手が片手でハンドルを握りながら、正確な時間(2.5秒)を測ってボタンを押し続ける「精密操作訓練」を目的としていたとされる。結果、運転手が秒数を測ることに集中しすぎたため、玉突き事故が多発。この機能は「走行中に余計な集中力を強いる」として、わずか数年で廃止された幻の機能となっている。
「これらの装備は、現代から見れば信じられないほど不便だが、当時の運転手はそれを『試練』と捉え、乗りこなすことに誇りを持っていた。まさに『クルマは乗るものではなく、闘うもの』という昭和の精神を体現していたと言えるでしょう」(自動車文化研究家・虚空 六郎氏 談)

